アレトカコレトカ

年に1~2回更新していきます

スポンジスッポンポン

ゴールドコーストシドニーから移住して2週間、部屋が決まり一歩前進といったところである。今まではドミトリーにしか泊まったことしかなかったので部屋の中に専用の風呂、トイレがあるのが嬉しい。

眠気冷ましにシャワーを浴びるため服を脱ごうとした時、ふと女性の服の脱ぎかたについて考えた。

女の人は服の中から服を脱ぐのが異常にうまい
それはほとんどイリュージョンに近いものがある。

何言ってるか伝わるかな、、でもほんと上に書いた通りで例えばインナー、シャツ、パーカーを着てたとする、するとパーカーをきたままインナーをぬぐのだ。

あれはどこでならうんだ?突然公然の目の前で行われるイリュージョンに僕は見ていいのかそれとも目をそらすのか迷う。

そんなことを考えてるまに終わっているのでまた驚く。

音であらわすならば

サッ...ヌギッ....スルスルッポンッ!!てなぐあいである。


試しにいちど、真似をしたことがある。
結果、手がひっかかり服は伸びボタンは弾けとびなぜか服が後ろ前ぎゃくになってしまった。


今朝、時間をもて余した僕はリベンジを試みた。


オーストラリアはゴールドコースト
ここでは全てがチャレンジだ、困難に挑戦し続け、諦めなければ道は必ずや開かれる。
最初から諦めるのであれば明日はない。


最初は順調だった、パーカーの中で右腕を器用に動かしTシャツの袖ぐ、ち、、あれ....

なかなかどうしてこれ、うまく、、あれ..?
なんか関節がシャツの中できまっている。
肘関節ががっつり決まっているin Tシャツの中。

体が普通の人の倍、いやそれ以上に硬いことを今さら思い出した、後悔先に立たず。
しかし、挑戦という大海原に飛び込んだ今、引き返すことは出来ないただ荒波に向かい無様でも、希望というパドルを漕ぎ続けるまでだ。

右肘を支点にぐるぐる体を動かす様は端から見れば完全なホラーであることは間違いない、広すぎる部屋の中で右肘を軸に壊れたオモチャのように暴れ回った。

うまく体を動かすことが出来ないフラストレーションから超人ハルクのように服を破り脱いでやろうとしたけど、理性がそれ止めた。

ハルク最大の悩みは怒りを感じた時、緑色の怪物になることではなく、巨大化した時にズボンが破れてしまい、人間に戻ったときにすっぽんぽんになってしまうことである。

僕は冬服を持っていない、日本からオーストラリアに着たとき14キロの荷物しか持ち合わせておらずそのほとんどが春から夏用だった。

もし、パーカーを破るようものであれば凍えて最悪、死んでしまうかもしれない。

なので、普通に服を脱いだ。

気がつくとか全裸になっていた

そしてベッド入り、真新しいシーツがひんやりとしていてとても気持ちがいい。

シーツの質感が肌をつたわり感覚器官から感覚神経、脊髄を経て脳へ命令が伝わる。

「シャワーあびたら?」

ありがとう俺の脳、本来の目的を忘れていた。

シャワーを浴びる前にバスタブを洗い、満足感と達成感に包まれていた。

服を服の中で脱ぐ挑戦には失敗したが、その結果こうして幸せな気持ちになっている。
幸せはどういう形でやって来るかわからないものだ。

全裸でスポンジを握りしめ、窓から射し込む陽に照らされたキレイなバスタブを見て、

「あっ、なんだか今、悪くねーな」思った。

この感覚はオーストラリアの西側の小さなチェリーファームで働いているときに初めて思った。

はしごを木にかけて数メートル上のチェリーを取っているとき、ふと後ろを振り向くと広大な緑の土地がずっと続いていてまるで絵画のようだった。

しばらく手を休ませて眺めていると、隣にいた人も同じように風景を見つめていた。
話を聞くと故郷のボルドーにとても似ているらしい。

ボルドーはどんなところだろうかと思いを馳せていたときに、

「今、この感じ悪くねーな」と思った。

悪くねーなというのは、悪い意味ではなく感覚的な話でこれを言語化すると自分の中で意味が変わってしまいそうなので深くは考えない。

この感覚を何度も味わうために生活をしていきたい、ある意味、生きる意味なのかもしれない。

全裸で人生の哲学に触れたゴールドコーストの朝でした。

おわり